「ハラスメント」とは何か
「ハラスメント」の語源は「猟犬に追われて息も絶え絶えになった獲物が感じる疲労と絶望」に由来するそうです。つまり「強者が弱者を」「傷つけ、いたぶるために」「執拗に攻撃すること」がハラスメントの本質であり、単に業務上の指示をするだけでは「ハラスメント」にはなりません。ただし、同じ言葉を聞いても「不快だ」と感じるか「気にならない」と思うかには個人差があり、ハラスメントを定義するのはとても難しいことです。たいせつなのは、相手が誰であろうと、その人の尊厳を傷つけないように心がけることです。現場に集う人全員が、かけがえのない仕事上のパートナーであることを忘れないでください。
年齢や立場が上になると、「このくらいセーフだろう」「いい人間関係が築けているから大丈夫」などと思いがちですが、相手が黙って飲み込んでくれているだけかもしれません。かつては当たり前だった指導法が「ハラスメントだ」と受け止められることもあります。年長者は「自分は必死で耐えてきたのに」と理不尽に感じるかもしれません。けれども、あなたが必死で耐えたような暴力やいたぶりが、今の若い世代のモチベーションを上向かせる可能性はほぼないでしょう。制作現場の人材不足は深刻な状況です。昔ながらに後輩を怒鳴り、追い詰めるのではなく、知識や技術を未来に手渡すためのより良い方法を探りましょう。
まず、プロデューサーや監督は自らが権力を持った立場であることを自覚し、すべての人が安心して仕事できる場を作る責任を果たしましょう。技師やチーフ助手など、上位の人も同様です。作品を良くしようとする熱意や、緊迫した現場の雰囲気によって、無意識にハラスメントをしてしまうことは誰にでもあります。まずは全スタッフで、「パワハラ」「セクハラ」などのハラスメント行為について、よく理解しましょう。「自分には無縁だ」と考えたり、「わかりきっている」と思ったときが危ないときです。キャリアを重ねた人は「どの口が、と言われそう」とちゅうちょせず、行動を変えてみましょう。その上で若いスタッフも、悩みを一人で抱え込まず、現場の改善に加わることが必要です。そして、もしハラスメントが起きてしまったときは放置せず、被害を受けた人を守るように務めましょう。その上で、周囲や責任者、相談窓口に申告しましょう。
ただし、撮影現場は危険や急を要する事態も多く、大きな声が上がる場面もあります。ハラスメントを意識するあまり世代間で会話も交わさないような現場では、かえってトラブルが起きやすくなります。柔軟なコミュニケーションが取れるように、日頃から縦・横にわたる対話をたいせつにしましょう。部署を越えて、アシスタント同士のつながりの機会を持つことも有効です。
パワーハラスメント(パワハラ)とは
上位の立場や優越的な関係を背景にして、相手に身体的、精神的な苦痛を与えたり、尊厳を傷つけたりする言動や待遇。それらが「必要かつ適切な指導や注意の範囲」を超えており、スタッフや俳優の働く環境を悪化させることを指します。
どんなことがパワーハラスメントになるの?
・人前で大声でくりかえし叱り、支配的な空気を作り出すこと。
・殴ったり、蹴ったり、相手の体に危害を加えること。物を投げつけるなどして威嚇すること。
・ちょっとしたミスでも容赦なく責めたり、冷たくあしらったり、からかったりすること。
・大勢の前で「生意気だ」「人間としておかしい」など性格や人間性を非難する言葉を浴びせること。
・断れない状況を利用して、労働時間の延長や仕事内容の変更を強いること。
・演技指導を理由にして、俳優の容姿をからかったり、罵倒すること。
・ワークショップにおいて、演技とは関係のないことを一方的に俳優に強要すること。
・新人スタッフに「経験が浅い」ことを理由に意見を一切聞かず、肉体労働のみを課すこと。
・必要な指導をせず、コミュニケーションを拒否すること。無視。不機嫌な態度をとること。
・根性論、精神論のみに頼る暴力的指導。
・「逆らわない」「反抗しない」などと書面で誓約させること。
これらのような言動によって、相手の仕事への意欲をそこなわせ、能力を発揮できなくなるようなダメージを負わせることをパワーハラスメントと言います。
下位から上位へのハラスメントも起こります。たとえばセカンドやサードの助監督が、自分がいなければ現場が回らないことを知りながら、監督やチーフの指示を無視したり、威嚇すること。上司の指示が適切であるにもかかわらず、複数の部下が徒党を組んで「パワハラだ」「訴えるぞ」などとくりかえし脅すこと。若いプロデューサーや、別の映像ジャンルから抜てきされた技師に対する侮蔑的な態度や疎外もハラスメントにつながります。
時間が不規則で負担が大きい現場では、「普段はいい人」「理性的な人」が、追いつめられて弱い立場の人を傷つける言動をとることもあります。監督やプロデューサーは、働き手が心身の余裕を保てるスケジュール組みや安全な環境づくりに努めてください。また、各パートの技師やチーフは、その必要性を積極的に主張し、議論してください。
セクシュアルハラスメント(セクハラ)とは
セクハラは、性的な言動や欲求によって、相手に不快感や不利益をあたえ、働く環境を悪化させることを指します。一般的には女性が被害を受けやすいとされますが、男性が被害を受けることや、同性から同性に対する被害も少なくありません。
どんなことがセクシュアルハラスメントになるの?
・不必要にスリーサイズを聞くなど、身体的特徴を話題にすること。
・「冗談」という建前で、相手が歓迎していない卑猥な言動をくり返すこと。さんざん言い放っておいて、「セクハラじゃないよ」などと予防線を張り、相手の感情や反発を抑え込もうとする態度。
・相手が望まないのに、性に関するプライベートな事情を聞き出そうとすること。
・セクシュアリティ(性自認や性的指向)のカミングアウトを強要する。またその情報を本人の了解なく言いふらすこと(「アウティング」と言います)。
・性的な内容の噂(「〇〇と〇〇はセックスをした」など)を周囲に広めること。
・しつこく容姿や年齢を話題にし、こだわること。
・卑猥な写真や記事をわざと見せたり、性的な内容の手紙・メールを送ること。
・相手が望まない接触、キス、マッサージ、ハグなど。
・仕事の対価として性的な関係を要求すること。「役をあげるから」「次の仕事に呼ぶから」などと対価をちらつかせること。
・必要もなく密室で二人きりでの演技指導や技術指導を迫ること。
・オーディションで、説明と合意なく俳優に衣服を脱ぐよう求めること。
・説明と同意なしに、俳優に肌の露出や性行為の演技を迫ること。もしくは断れない状況に追い込んで、その同意を強いること。
・セクハラを訴えたり問題提起した人に対して、不利益を与えたり、報復すること。
ジェンダーハラスメントとは
性別を理由にした不当な言動や、「男性は外で働き、女性は家庭を守るべきだ」といった性別役割分担意識にもとづく嫌がらせ行為を指します。
どんなことがジェンダーハラスメントになるの?
・「女性だから」「男性だから」という理由で能力を過小評価したり、仕事内容を変えさせること。
・「女は……なもの」「男のくせに……」などと固定概念にとらわれた発言をし、罵ったり、からかうこと。「女性なんだから掃除して」「男なのに運転できないのか」など。
・特定の成人に対して、「男の子」「女の子」「おじさん」「おばさん」などとあえて呼ぶこと。「その件はAPの女の子にやらせます」「あのおじさん、うるさいよね」などと、その人の名前がわかっているのに、能力や年齢を軽視し、性別に限定した呼び方をすること。
・男性が性被害に遭った場合、「男のくせに」「ラッキーじゃないか」などと言って、被害を言い出しづらい環境を作ること。
デリケートな場面の現場におけるハラスメント防止策
・暴力や、性的な接触・露出のあるシーンは、俳優の心身への負担が大きい場面です。俳優は「なんでもやってくれる人」「裸やセックスをさらすことが平気な人」ではありません。俳優の安全とプライバシーと尊厳を守るために、監督・演出部はクランクイン前に時間的余裕を持って、演技内容と撮影方法を具体的に説明し、必要なケアを確認し合いましょう。撮影直前や当日のように、俳優にかかるプレッシャーが強い状況下で突然提案や交渉をしなくてすむように、しっかりと準備しましょう。
・ 性的な場面に参加する俳優やスタッフに、個人の体験を根ほり葉ほり尋ねない。また、その情報を言いふらさないこと。
・性的な接触・露出のあるシーンの撮影では、必要最低限のスタッフのみが配置される「クローズドセット」を準備しましょう。モニターの台数も最小限にし、確認の必要がないスタッフは演技中のモニターから離れること。また、スタンドインのスタッフをからかったり、俳優が肌を露出したまま待つことのないように配慮しましょう。
・衣装にマイクを装着するなど、スタッフが俳優の身体に直接触れる作業を行う場合は、事前に言葉をかけて俳優の同意を得ること。衣装部などのサポートも借りながら行いましょう。
撮影終了後、または撮影現場外でのハラスメント防止策
・作品中の暴力的・性的な表現を、むやみに外で言いふらさないこと。第三者が不快や苦痛を感じることもあります。
・性的なシーンの撮影素材は、必要な制作関係者のみで確認し、公の場所で再生しないこと。
・ 中打ち上げ、打ち上げなどの酒席への参加を強要しないこと。
・ 酒席において。人にお酒を注いだり、特定の席に座ることを強要しない。またその場で第三者同士の恋愛にむやみに干渉しない。また会食後、望んでいない相手にしつこく連絡したり、関係を強要しないこと。
・ 酒席でのハラスメントをアルコールのせいにしない、させない。
ハラスメントが起きないために。また、起きたときのために。
●「ハラスメントを受けている」と感じたとき
・可能ならば、なるべく早い段階で「やめてほしい」という意思を相手に伝えましょう。
・直接言うのが難しい場合は無理をせず、信頼できる人や、現場のハラスメント担当者、プロデューサーなどに相談しましょう。悩みを一人で抱え込まないこと。
・現場で相談できる人がいない場合は、所属する職能団体や外部の相談窓口に連絡し、アドバイスを受けましょう。
・「どうしたらいいかわからない」と思う人は少なくありません。どうしていくかを整理することから、相談してみることもたいせつです。
・相談を進めるときのために、起きていることの内容・日時のメモや記録を残しましょう。事実に基づいて、具体的な言葉や行動を記録しましょう。
ハラスメントにあっている人の多くは、声を上げることに不安を感じます。けれども、がまんを続け、感情を押し殺すことで、トラウマを抱えることになったり、時間が経ってからの告発や報復にもつながり、人も作品も取り返しのつかない痛みを負うことにもなります。すみやかな申告や支援によって、被害が最小限にとどめられ、健全な現場と個人の人権が守られます。
●ハラスメントに気づいたとき
・傍観者のままでいることをやめましょう。なるべく早い段階で、行為者に「ハラスメントになっていませんか」「相手が悩んでるように見えますよ」「現場が微妙な空気になっていますよ」などと直接注意をこころみましょう。
・直接言いづらい場合や、注意しても効果がない場合は、ためらわず現場責任者に伝え、注意喚起や警告を求めましょう。
・ハラスメントを受け続けることで「自分が悪いんだ」と思い込む人も少なくありません。被害を受けている人に声をかけるなど、心配していることを伝えてみてください。
・相談があったときは、まず「どうしてほしいか」に耳を傾けましょう。その上で、周囲と連携を取ったり、あなた自身も外部の相談窓口を利用しながら、解決に協力しましょう。
・当事者同士での解決を促したまま放置しないこと。「話せばわかる」は解決につながりづらいものです。
●「あなたにハラスメントを受けた」という申告があったとき
・まずは現場責任者や第三者機関による調査に協力してください。ハラスメントの事実が認められた場合は、事態を受け止めて心からの反省に努め、二度と行わないことを現場責任者と被害を受けた人に誓約してください。その上で、現場責任者らの指示を受けながら関係回復と再発防止に全力を注ぎましょう。決して報復行為などを起こしてはなりません。
・直接の謝罪には慎重を要します。加害をした人が謝罪したいタイミングと、被害を受けた人が受け入れられるタイミングは異なります。被害を受けた側の思いを優先し、ハラスメント対応担当者やプロジェクト外の第三者が必ず立ち会いましょう。
・第三者は、「撮影が止まるから」「悪気はなかったんだから」という理屈で、被害を受けた人に謝罪を受け入れさせたり、許すことを強要してはいけません。
●ハラスメントをしてしまったとき
ハラスメントは誰にでも起こるものですが、被害を受けた人に比べて、ハラスメントをしてしまった人は、自分なりの思いや葛藤、今後への不安について話せる機会は少ないものです。してしまった行為は決して許されませんが、同じことをくり返さないためにも、起きたことを安全に振り返る機会もたいせつです。怒りや言動をコントロールするためのカウンセリングを受けたり、以下のコラムを参考にしてください。
●二次被害の防止のために
被害を受けた人のプライバシーは必ず守り、二次被害を起こさないようにしましょう。ハラスメントに直接関わっていなくても、SNSなどで情報をまき散らしたり、誹謗中傷をしてはなりません。重大な人権侵害にあたる恐れがあります。
おわりに
ハラスメントの概念は繊細で、その防止策はたやすく定められません。このハンドブックに書かれたことが全てではないことを心に留め、現場ごとに改良と学習を続けましょう。製作者はハラスメントや性加害を許さないことを宣言し、各パートの責任者も協力してください。日本の映像制作を未来につなげるために、互いを尊重し、安全な環境が当たり前になる日を目指しましょう。
相談窓口とその課題
深刻なハラスメントは当事者同士での解決は難しく、専門の相談窓口や、第三者による公平な実態調査と救済措置が必要です。諸外国では、すべての映像制作者のためのハラスメント防止教育や、被害者の法的・医療的サポートが急速に進んでいますが、日本の映像業界は未だそれらが十分ではありません。
プロジェクトは文化庁で始められた支援を利用するなどして講習を実施し、フリーランススタッフは以下にあげる一般向けの相談窓口を活用してください。また、「日本映画制作適正化機構(映適)」にも現状の問題を報告し、現場で働く人たちの声によってハラスメント対応の改善の動きを盛り上げましょう。
・文化庁 ハラスメント防止対策支援事業(令和5年度〜)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/kibankyoka/no-harassment/index.html
文化芸術活動基盤強化室 TEL 03-5253-4111
講習費や専門家の外注費への支援。経費合計額の2分の1または、20万円のいずれか低い額を支給。年度予算上限まで先着順。
・日本映画制作適正化機構(映適)
※申請作品は、外部窓口の紹介が受けられます。
外部相談窓口
【労働相談一般】
・フリーランス・トラブル110番
TEL 0120-532-110(平日11:30〜19:30)
フリーランスに詳しい弁護士による対応。ハラスメント・契約・未払い・和解あっせん等。相談無料。匿名可。
・日本労働組合総連合会
https://www.jtuc-rengo.or.jp/soudan/
TEL : 0120-154-052
ハラスメント相談。労働環境改善の相談。一人でも入れる労働組合の紹介。相談無料。
【法律関係】
・法テラス(日本司法支援センター)
https://www.houterasu.or.jp/madoguchi_info/call_center/index.html
TEL 0570-078374(平日9:00〜21:00/土曜9:00〜17:00)
弁護士による法律相談。原則として被害者からの相談。相談無料(1回30分。1事件につき3回まで)。
・弁護士会の法律相談センター
https://www.horitsu-sodan.jp/soudan/roudou.html
TEL 0570-200-050 (平日10:00〜16:00 都内からのみ15分無料相談)
弁護士による法律相談。原則として被害者からの相談。30分5,000円(延長15分につき2,500円)。
・女性弁護士による働く女性のためのホットライン(日本労働弁護団)
https://roudou-bengodan.org/sodan/sexual-harassment/
TEL : 03-3251-5363(毎月第2・4水曜日 15:00〜17:00)
セクハラ・マタハラなど女性特有の問題に関する相談。女性弁護士が対応。電話相談無料。
【性暴力】
・性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センター(内閣府)#8891
https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/seibouryoku/consult.html
産婦人科医療やカウンセリング、法律相談などの専門機関とも連携。通話料無料。
・性暴力に関する SNS相談「Cure time」(内閣府)
チャット相談。毎日17時〜21時。外国語対応あり。
・性犯罪被害相談電話(警察)#8103
24時間対応。性犯罪・性暴力被害等の相談に応じる警察の窓口。
【人権相談】
・みんなの人権110番(法務省人権擁護局)
https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken20.html
TEL 0570-003-110(平日8:30〜17:15)
差別、ハラスメント全般。法務局職員。人権擁護委員による対応。相談無料。全国対応。
【メンタルヘルス相談】
・こころの耳(厚生労働省/メンタルヘルス専門)
https://kokoro.mhlw.go.jp/agency/
TEL 0120-565-455(月火17:00〜22:00/土日10:00〜16:00/要利用規約同意)
メンタルヘルス不調、仕事の悩み。心の悩みのカウンセリング、適切な機関への紹介。雇用関係がなくても可。相談無料。
・芸能従事者こころの119(一般社団法人日本芸能従事者協会)
https://artsworkers.jp/kokoro119/
臨床心理士が対応。芸能従事者協会員・全国芸能従事者労災保険センター加入者に限り、登録料2,000円で無料メール相談。
※台本印刷版には、以下の責任者名の記載ページを設けています。
本作『〇〇〇〇』の製作責任は以下の者にあり、制作過程におけるあらゆるハラスメントの防止に尽力し、フリーランススタッフも含む全ての制作者の安全を守ることに努めます。
(「対応担当者」は、プロジェクト内で充分な話し合いをもって選任してください。)
◾️製作責任者
社名 氏名
TEL E-mail
◾️制作会社
社名 氏名:
TEL E-mail
◾️制作現場・ハラスメント対応担当(可能な限り、性別の異なる複数名に任命すること)
氏名/役職 TEL:
氏名/役職 TEL:
2023年10月発行
制作・発行 : 日本版CNC設立を求める会/action4cinema
https://www.action4cinema.org/
監修:四宮隆史(弁護士)中村洸太(公認心理師・臨床心理士)
デザイン:大島依提亜 イラスト:朝野ペコ
協賛:Creative Guardian(CRG)
協力:三交社